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原子力規制委員会の5年間 規制委は「何をしなかった」のか[その1] (2回連載)



危険な原発 vol. 2303:原子力規制委員会の5年間 規制委は「何をしなかった」のか[その1] (2回連載)!!!!!
もう、後悔したくないんです!!!!!!!
こんな国に生まれ、
何も抵抗できずに
放射線障害になってしまうであろう
子どもたちの運命を
放置してもいいのでしょうか。
私たち大人には、
原発を止められなかった責任があります。
対岸の火事ではありません。
↓ コピーは、四万十町:大村和志
通称「コンちゃん」
言葉の力で
未来を切り開く。

たんぽぽ舎より◆原子力規制委員会の5年間 規制委は「何をしなかった」のか
その1] (2回連載)
└──── 山崎久隆(たんぽぽ舎副代表)
見出し
[その1]
1.認可取り消しをしなかった
[その2]に掲載
2.福島第一原発事故の原因究明をしなかった
3.東京電力の責任を追及しなかった
4.再稼働優先で安全性を重視しなかった
5.防災体制を審査しなかった
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、世界でも例を見ない3基の原子炉のメルトダウン、最大時16万人の避難、さらに6年半を経た現在も5万人を超える人々が故郷に帰れず、生業を奪われている。震災による死者・行方不明者18456人(警察庁2016年12月9日)に対して震災関連死は3591人(復興庁2017年3月31日)であるが、福島県に限れば1810人に対して実に2147人に上る。
事故以前の原子力行政は、推進が原子力委員会(1960)、規制は原子力安全委員会(1978~2012)と原子力安全・保安院(2001~2011)が担当していた。3.11を防げなかったこと、さらに安全委も保安院も原子力災害対策本部への助言などを行い、政府として事故収束活動を支援するはずだったが、助言どころか全く役に立たないことが露呈し、その後の組織解体へとつながった。
2012年9月、それまでの保安院などが資源エネルギー庁の下部組織だったのを環境省の外局として原子力規制委員会が設置された。なお、初代の田中俊一委員長は原子力学会会長、原子力委員会委員長代理などを歴任しているから、原子力ムラの中心で推進をしてきた人物であることに批判が集まった。
では、その原子力規制委員会の5年間にどのような問題があったのか。
原発再稼働へのお墨付きを与え、現時点で4原発7基の「合格」を出したが、この項では「やらなかったこと」を上げてみる。
1.認可取り消しをしなかった
福島第一原発事故が発生した際、北は東通原発から南は東海第二原発まで15基の原発が地震と津波により被災した。そのうち福島第一原発で3基がメルトダウンした。他の原発でも深刻な事故になる危険性があった原発もある。
原発立地は大規模な自然災害がないところに、との立地指針を定めている。
政府の地震研究推進本部は、日本海溝沿いにマグニチュード8クラスの地震が発生することを2002年に公表、「30年間に20%程度」と、この種の予測では極めて高い価を示し、警告していた。
規制委は、これまでの安全神話に基づく原発の過酷事故対策を不十分と認め、新規制基準の策定を行った。しかし一基の原発の設置認可は一つも取り消さなかった。
原発の立地そのものが「失敗」だったのだから、まず日本中の原発の認可を一旦取り消すべきであった。[その2]に続く
高知県は
伊方原発の風下になります。
福島原発から
300km先にも放射能は届いています。
伊方原発から
300kmは四国を放射能が覆います。
日本の原発から
300kmはほとんどを放射能が覆います。
もぉ~~~~~~~
いい加減、
もぉ~~~~~~~
いい加減、
気づこうぜよ!!!!
「脱原発四万十行動」
継続は力なり!!
毎月、
第2週土曜日は、
『脱原発デモ行動の日』
次回は、
◆12月9日です。
◎ 四万十市:赤鉄橋下の公園集合
今後の予定は、
寒くなりましたので、3月まで休みます。
飛び入りでもかまいません、
多数のご参加をお待ちしています!!
伊方が止まるまで・・・・・・・、
伊方が廃炉になるまで・・・・・・・・。
原発は、廃炉です。
ん、だば。 四万十:川ちゃん
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